運動の全体のなかの部品を見るような観点、遠景にみる近景=残響という観点から、わたしたちの生きている身体からはがれてゆき、だんだんと余韻運動という部位自体が自走するような構成=展開 を製造することを、ドローイングや装置を介して会話的に展開してゆく。